(・ω・)< 生きているから 生きるのだ
(・ω・) 人間は いきているだけで 合格点。
自己肯定感が低い人は、常に顔色や空気を気にしています。自分の意見は間違っていると思いがちです。
— 中島 輝@自己肯定感の第一人者 (@nakashima_teru) 2021年11月22日
自己肯定感が低くても大丈夫。
気づくことが大事!
生きてるだけで丸儲け。
自分に◯をつけましょう🤗
ひろゆきが呆れる「自己肯定感がものすごく低い人の特徴」ワースト1 https://t.co/waCFZ0q1qb
(・ω・)φ
— 朝宮ひとみ (@HitomiDaisybell) 2021年11月22日
・誰かの役に立っている実感が生きがいややりがいになる
・生きがいは失いやすいが(自分以外でも)変化や成長を感じることでそれが生きがいになる
・生きてるだけで、誰かの役に立っている
【漫画】人はなぜ生きるのか?/「生きがいについて」【要約/神谷美恵子】 https://t.co/7V1GxOpV50
*たまたま動画を見た後に中島先生のツイートが来たので、饅頭様の何かにちょっと主張させてみました。
wiki(pediaだけじゃないよ)を使って昔見てた作品を思い返してみる
昨日の記事の続きではないですが、私のアニメや映画などの作品遍歴をちょっと書いてみようと思います。
覚えている中でたぶん一番古いのは、保育園児のころに見ていたフラッシュマン(1986年)かな、と思います。1986年の作品の一覧を見た感じ、ほかに覚えているのは聖闘士星矢、宇宙船サジタリウス、ドラゴンボールですかね。内容は聖闘士星矢の一部以外覚えていません。フラッシュマンのブルーかグリーンが人生初めての恋だったのですが、今ウィキペディアの作品の項で説明を見てもピンとこないのでたぶん顔で選んだな。
さすがに小さい頃のは、内容をほぼ覚えていません。のちのナディア(90~91年)みたいにCDとか本とかで情報の反芻がなかったのもあると思いますし、当時は毎週視聴していないものも多く、単純にただ見てるだけで、特別思い入れがなかったというのが大きいでしょうか。ドラゴンボール(86~89年)の場合、Z(89~96年)の途中のセルのショックの余波で消されていそうです。
87~89年までだと北斗の拳(87~88年)、エスパー魔美(87~89年)、アニメ三銃士(87~89年)、キテレツ大百科(88~96年)、魔神英雄伝ワタル(88~89年)、おぼっちゃまくん(89年)、獣神ライガー(89~90年)、天空戦記シュラト(89~90年)、魔動王グランゾート(89~90年)、青いブリンク(89~90年)、新ビックリマン(89~90年)、悪魔くん(89~90年)、ドラゴンボールZ(89~96年)、ドラゴンクエスト(アベル伝説)(89~90年、91年)、チンプイ(89~91年)を見た覚えがあります。しかしこの辺りも途中のエピソードやキャラを覚えているものは少ないですね。
しかも、記憶が正しければアベル伝説見たの再放送です。小学校の夏休みの朝だった気がします。
我が家にファミコンやスーファミが来るのは発売より何年も遅く、例えばドラクエIII(88年)やIV(90年)を遊んだのはVI発売(95年12月)よりも遅くて、中学生の頃(95.4~98.3)です。それまではマリオとかテトリスをちょこっとやったくらいで基本的に外遊びでした。
あとは、魔美のテレポートにあこがれて、ハートを書いて切り取って遊んでたのとか、チンプイが他の家族の見る番組と被って喧嘩したという覚えがあります。
上記の中で一番記憶があるのはおそらくドラゴンボールZです。セルの登場後のシーンで、逃げる人が載った列車とか車の列を無慈悲に壊していくようなのがあって、しばらく夢に見ました。私はその回以降見なくなりました。ウィキペディアの項を見た感じ91年ぐらいのことですね。
大人になってニコニコ動画で(主に声優さんがらみの)ネタにされてるのを見ても最初はちょっと拒否感ありました。それぐらい強烈に虐殺系なイメージがあります。今でもあんまり見たくなかったりします。
まとまった話数を見たのがおそらくワタルとグランゾートとドラゴンボール(Zの途中まで)で、中学生くらいで既に記憶がキャラの見た目と何人かの名前が出てくるかどうかまで薄れていました。
身になってるとしても、実際に視聴しないと内容は思い出せないだろうなと思います。
みなさんは、4~5歳のころに見た作品のエピソードをある程度細かく思い出せたりってしますか?
まあいいやとは思うのだけど、もやもやも有る
今日は久々に職場で作業に余裕があって、ちょっと長い会話をした。
その中で、少し前に放置してた録画の鬼滅の刃を見て最後にめっちゃ泣いたという話をしたら、相手は
「流行ってるときに見そびれたし興味がないんだよねー。面白い?」
って返してきた。
「私も流行ってるときには何にも知らなかったですけど、とても面白かったですよ」
って返答した。
私、流行ってるから見る、ということをしないし、古かろうが何だろうが、出会ったときにいいなと思ったら見るので、「流行ってる時期を過ぎたら興味がなくなる」となりにくい。
朝宮ひとみという名前のもとになっている2001年宇宙の旅を私が視聴したのは2007年だし、ネタに使われてるセリフとかが気になってジョジョに触れたのもTVアニメ放映からだし。
流行ってる時期を過ぎたからもういいや、という実例を初めて間近で体験してしまった。
あと、その前に、私が子供のころの夕方のアニメ(ちびまる子ちゃんとかセーラームーンとか)の話をしてた流れのせいなのか、
相手の話の流れがどうにも、特撮とアニメ=子供向け、みたいな返し方なのが気になっちゃって、ちょっとショックを受けている。かといってここで無駄に熱を込めて反論するとか、映画の話だったからってシンエヴァとか出すわけにはいかんし、ましてヤマト2205とか閃光のハサウェイが見たいっていう話するわけにはいかんし、シンウルトラマンとシン仮面ライダー超見たいですとか言えなくなってしまった。
超もやもやが溜まりに溜まっている感じがする。
ネットがなかったらやばかったなこれは。ありがとうツイッター。ありがとう5ちゃんねるとしたらばの某スレッド。
(話の流れがなんか変だな)
既に幸せかもしれないと振り返ってみる
一年とか一か月とか目標を達成したり、自分が幸せだと思う環境を手に入れたのになんかまだ何かしないといけない気分になることってありませんか?
やる気があったり、乗り越えようとしていることがあるとか、そういうわけでもないなら単に幸せや良いことを見逃しているだけかもしれません。もしくは、嫌な面や世間的な『上』を見過ぎているのかもしれないと、先月の焦りの時などに感じました。
そこで、このもやもやした感じを減らすために実践したことや、本や動画で見かけて試してみようと思うことを集めてみました。
行動を見返す
一週間とか、一か月とか、一年とか、一定期限内や過去のブログやツイッターのログ、創作した作品などを見返してみるのです。
例えば、一年全く行動していないということはないと思います。作品がかけていなくても、参考になるような本を読んだとか絵を、その気がなくてもひとつは目にしていると思います。また、作品として出来上がらずボツにしたものがあればそれだけ作品制作を進めることができたということです。
私の場合は、手直しの過程で見返していて、前にはできていなかったことが、何年か後の作品では解決していたり、上達の過程のようなものを目にしました。似た内容の文章でも、後のほうがこなれていたりとか。
ツイッターだと、直球で過去には「○○ができるようになりたい」というツイートがあって、後に「○○できた」というツイートがされているということがあるかもしれません。
自分にとっての幸せを思い出す
私にとっての幸せは、
・くいっぱぐれない
・虐められない
・あれこれ強要・強制されない
なので、十分幸せです。しかし、職場で会話がうまくいかなかったり、注意されたりすると必要以上にしょんぼりしそうになります。
そんな時は、帰りに歩きながら
・向こうの機嫌が悪かっただけかもしれんから気にしないでおこう
・次からはXXなことはやめておこう/XXするようにしよう
・そんなことより帰ったらXXしちゃおう!
・そんなことより今日のブログは何書こうかな
など、ほかのことを考えるようにします。
直近(数か月以内)に大きな変化があった場合はそのせいだということにしちゃう
転職や身内・知人などの不幸、転居など、生活パターンを大きく変えるような変化の後なら、鋼メンタルやオリハルコンメンタルだったり、回復力がある人でもしんどかったり知らないうちに疲れていてもおかしくありません。
まして、メンタル強くない人だったり、悲しい出来事などで変化によるショックが大きかったりする場合は、単純な時間経過の少なさもあって簡単に元通りふるまうことはできないかもしれません。
繊細さんだったりパニック障害だったり、変化に弱い人ならなおさら、自分から変化するにしてもめちゃくちゃ重圧だと思います。まずは今手に入れた環境に感謝して、それを自分の選択で手に入れたんだということを認識したいものです。
幸せは人によって違うから、自分はこれでいいんだ!と思えるようにしたいです。どうせ社会情勢や災害、人間関係など変化は勝手に訪れるのだし、そこに対処できる余裕を作るために、生活にいろいろ隙間を設けておくのは大事です。10年とか何にもしてないのでない限り(なかなかいないと思います)、そういう余白だと思っておきたいものです。
昆布片手に勉強しよ<こんぶへよ>?
まったりした記事やちょっとしょうもない内容とか書きたくなったので。
Σ(・ω・)韓国語を勉強するときは昆布をかみながらやるといいのでは!?
— 朝宮ひとみ (@HitomiDaisybell) 2020年11月18日
*噛むことによって脳への刺激が~とかそういう科学的なメカニズムは全く関係ない駄洒落
「勉強する」が韓国語だと공부하다(コンブハダ)で、「勉強します」だと공부해요(コンブヘヨ)になります。漢字の熟語の「工夫」からきているそうです。
というしょうもないダジャレ。
こういうのをたまに見るのが好きです。食えるけどクエン酸とか、食べられるけどタベルナ(イタリアのレストランの一種)とか。とっさに出したら食べ物ばっかでなんかひどいですねえ。
なお、喋れたり使えたりするわけではありません。(文字は少し読める)
【日記】今あるものだけで何とか収めたい
14日に書いた模様替えを昨日していたら、想定したスペースに物が入りきらなくて困っている朝宮です。
物理的に容積が足りてなくて仕方がないので、一部は減らして、一部は置き場所を変えることにしました。隣接する場所も見直してもうちょっと入れ替えしようかな。もちろん、要らないものがあれば処分なりなんなりする方針で。
単純に収納を増やして解決したくないので、場所や収納用品を入れ替えたりして、ほどよい配置を決めたいです。今月の残りはそのあたりに注視しようと思います。
容積はオーバーしたけれど、入れ替え前に使っていたプラスチックのかごを処分できそうなので、そこだけは既にちょっとうれしいです。スーパーの買い物のおまけで、買い物かごを小さくしたような奴です。スーパーのロゴついてるしかご本体の色が派手だしで、机の上にそのまま置いてしまうとやたら目立ってしまうので、早めに変えたかったんですよね。