ヒュッゲな生活のミニマリスト?
今日はなにおれさんの電子書籍『ミニマリスト式超ヒュッゲ術』を紹介したいと思います。
ある程度片付けが進んだり、シンプリストやミニマリストになっていて部屋が片付いていると、模様替えがしやすいですね。思い立ったらすぐに家具を動かしたりできますからね。
数年前に、Eテレの番組で北欧インテリア入門的な番組を見ていました。さらに数年前になるくらいから流行していて、真似をする人が多くいたと思います。そこで強調されていたのがデンマークの「ヒュッゲ」という概念です。
その人にとって居心地がよいコーナーを部屋の一角に作ろうという回があって、案内役の人のそれぞれのヒュッゲなコーナーを紹介していました。いすやテーブル、絵画や花器、子供の絵本や玩具など、それぞれのほっとするひと時の過ごし方によって全く違った様子でした。
ところで、ミニマリストの人ってモノを減らしたいんだからインテリアなんて関係ないんじゃない?と思っている人は多いと思います。
イメージするのは日本での先駆者のひとり・しぶさんの部屋だと思われます。ほぼすべて見えているフローリングの床。入り口側から見ると唯一置かれたキッチン設備と洗濯機が見えなくなり完全に床。小さなクローゼットスペースにかかってる数着の服。
……みたいな。
ただ休む用の椅子とかテーブルを置くとか、無駄な雑貨とか置いたらミニマリストじゃなくない!?とかそんな気がしている人居ませんか。
しかし。ヒュッゲとミニマリズムは相性がいい。
本書を読んで私も思いました。
一見全く違う方向性を持っていますが、
この二つは実は同じものを目指す側面があります。
こんな人にオススメ
- ミニマリスト=物が少ない人と思っている人
- ミニマリスト=我慢してると思っている人
- 物が少なくても快適な生活がしたい人
- 毎日の生活にちょっとした刺激をくわえたい人
- 刺激は欲しいけど休日は寝てるとかなーんにもしたくない人
こんな人にはお勧めしない
- ストイックにモノを減らしたい人
- 生活の質を上げようとかていねいな暮らしとか考えていない人
- 単にヒュッゲな北欧家具って具体的にどんなんなの?が知りたい人
(写真とかありません) - 毎日の生活が既に楽しすぎて何も不満がない人
ヒュッゲとミニマリズム
ヒュッゲとは
本書では
”心地よさ”を総称した概念
と紹介されています。検索すると、一言で表す言葉や熟語などの対応する表現がないですが、
「居心地がよい」
「充足している」
「楽しい時間」
のような表現が見られますし、ウィキペディアに項があって
ウエルネスかつ満足な感情がもたらされ、居心地がよく快適で陽気な気分であることを表現するデンマーク語およびノルウェー語である。
とあります。
大きくとらえると、
「明るく快適な気持ちで心が満たされる」場所や状況、それを構成するものを指して「ヒュッゲな」と表現する感じでしょうか。
ミニマリズム
本書では
もので溢れた現代に対するカウンターカルチャーとして広がった必要最小限のもので暮らす生活スタイル
と書かれています。カウンターカルチャーうんぬんはとくに気にしてない人もいると思います。私も現代の文化的ななんとかを言う気はないです。
しかし、それまでに周りから言われてきた
「○○ならXXを持た(使わ)なければいけない」という価値観に異議や疑問を持っていると示す行為であると思います。
環境問題に興味を持ち、ごみを極力出さない生活として始める人などは、逆に強くカウンターであることを意識しているかもしれません。
あくまで「必要最小限」は個々人で違うので、厳密にモノがいくつしかないとか、これを持っていないこととか具体的な基準や決まりはないはずです。個数にこだわる人を掲示板などでは見かけますが、解りやすい指数の一つでしかないと感じます。
何かコレクションしているとか、雑貨を飾っているとしても、きちんと手をかけていたり、自分が満たされるならそれは必要なものに入ると思います。言い訳にしてため込んだらダメですけども。
同様に、ミニマリスト=無駄を嫌って節制・節約・我慢!みたいなのもそれは修行僧では?と言いたくなります。我慢しなくていいとは言えないですが重点ではないですよね。なんでも我慢してるということは必要なものが満たされていないからだと考えることができます。
心地よさを求める点では同じ
一見相反する概念に見えます。ヒュッゲ空間のために飾り立てることって必ずしも必要なの?と思う人がいると思います。
むしろ、重なる部分があります。どちらも、自分が居心地がよい空間を作ること、という点は同じです。本文の表現だと「自分に合った暮らし方を見つけること」なのです。
ヒュッゲなインテリアづくりと言うとふかふかクッションやソファがなくては実現できないのではないし、ミニマリストは狭い部屋で冷蔵庫なしで暮らして毎回買い物に歩いていかなくてはいけない人ではありません。
多くの人はデンマークやノルウェーに行ったことがないと思います。著者の方もないそうですし私もありません。ですが、単におしゃれ(だと雑誌で紹介されている)北欧家具を買うよりも、先に
・ヒュッゲという文化をちょっと掘り下げる
・自分が心地よいと思うのはどんな要素(時、もの、シチュエーション)か知る
ことが大切なのではないかと私は思いました。
あとは軽く、気になったポイントなど。
1章(ミニマリスト的ヒュッゲ)
簡単にまとめると、著者は
捨てる→入れ替える→支出を減らす
という手順をとったそうです。モノを減らす際は数字でいくつ、ではなく、
「自分が把握できるまで」
という基準を置いたのです。目をつぶって部屋の扉の所に立ったら、どこに何があるか全部言える状態まで、って考えたらある意味個数より難しい事だと思うんです。
入れ替えるものを選ぶ際には、あくまで自分の美的感覚に従うこと。
この内容で、思い出したことがあります。一時期毎日紅茶をティーポットで入れていたときに、使っていたカップの取っ手が取れてしまったことがありました。
コーヒーカップ兼用のをひとつ食器棚から借りましたが、やっぱり注いだ時に嗅ぐ香りが減ってしまうし、冷めるのに時間がかかります(猫舌)。残念なので、どうしても口が広くて背が低いカップが欲しいと思いました。
そこで元のカップの口径と高さを図り、それぞれ何センチ~何センチの範囲とメモして、探していました。ティーセットなら条件に合うものがあったんですが、安くても数千円だしティーポットがあふれてしまうし、頻繁に紅茶を飲むのは私だけだったので、4~5つもカップは要らないしで、困っていました。
結局たどり着いたのが、最寄りのスーパーに入っているセリアのカップです。ダイソーの300円と違って軽い素材じゃないという点だけ最初気になりましたが、今では一番のお気に入りです。
これも、自分で探して一番納得したのを選んでよかったと思っています。たかが100均だと思い、物は良いけど微妙に背の高い数百円の普通のカップを買っていたらきっと香りをかぐたびに気にし続けていたかもしれません。
2章(道具)
必要な道具として挙げられているのは間接照明とテーブルと椅子です。
著者はとくにテーブルを重要視しています。作業効率も上がるし、余裕をもって食器を並べて食事をとると豊かな気持ちになるとのことです。
確かに、小さなテーブルにぎちぎちにおいて食べると自分まで窮屈になったように感じることがありますね。
間接照明は最近重要視されていますね。部屋全体をいつも照らすのではなく、例えば寝る前のくつろぐ時間なら、明るくする必要があるのは手元など一部分で、あとは逆に暗いほうが刺激が少なくて眠りやすいですね。
椅子は座りごこち。
他の小物などは私は使わないとか使えないものもあるので役立つような感想が出せそうにありません。ただ、部屋着を着る人は部屋着の着心地やデザインが気に入るようにするのは大切だと思います。気持ちに直結しますし。(私は外出時に困るので部屋着というカテゴリーを設けていまぜん。)
3章(思考)、4章(生活習慣)
中に、受動的よりも能動的な行動が人生を楽しくするという話がかかれています。
テレビを見るだけより、簡単だけどSNSで感想や考察を発信するほうが楽しくて、そうしたことで少しずつ楽しみ方が増えます。
選択肢の少なさ(服が少ないとか、生活しててここが不便だとか)に対して工夫することで、その不便な点を楽しめるようになったり、苦にならずに解決できるようになり、その連鎖で生活が楽しいものになります。
個人的に独特だなと思ったのは、「12.贅沢を贅沢を自覚する」のページです。
普段の生活の様々なことが、実は贅沢であること
=普段の生活は満ち足りたものであると自覚する。
ということです。
今、生活の様々なことをルーティン化する人はそこそこいると思います。ミニマリストやビジネスマンだけじゃないと思っています。
ル―ティン化のように合理性を求めると、いつも同じことをする人になるのではないかと思いますよね。3章ではルーティン化を勧め、4章で刺激を求めろって一見矛盾しているように思う人がいるかもしれません。
しかし、ルーティン化で必要のない選択肢を減らしておくことで、予定外や刺激を自分で選択できるようになるのではないかと、読んでいて思いました。
ルーティン化で出来た余裕がなければ、刺激に対応できないだろうし、習慣になって居なければここを変えてみようとかあれを工夫しようと思えないのではないでしょうか。
通勤など確実に行う移動で歩くのは個人的にもお勧めしたいです。
歩くことには道具は要らないし、全身を使います。通勤の間に10分(往復で20分)歩けば、それと別に20分歩く時間を設けなくて済みます。
花壇や畑があれば季節の移ろいを感じやすいですし、鳴れると細かい風景の違いに気づけるようになって楽しめるポイントが増えます。
5章(休日の過ごし方)
3,4章のようにして、日常に変化や楽しみかたが生まれると、休日に遠くへ出かけるなどの非日常ばかりに刺激を求めなくてよくなります。大きな変化でなくても刺激を受けることができるからですね。
たとえば何でもない日をお祝いするという過ごし方が挙げられています。お祝いしようという基準を他人や世間ではなく自分で決めてしまおうというわけです。自分にとって特別だったり、特別なことじゃないけど○○があった日、など、思い立ったときにパーティーしちゃえ!みたいな感じですかね。
パーティーとまではいかないけど、ふと思い立ってホットケーキ焼いちゃうとかは妙にワクワクします。焼きまくって冷凍庫に突っ込んでおくといくつか母親に食べられちゃったりするんですけどね。
全体のまとめ
- ヒュッゲもミニマリズムも、自分が心地よい暮らし方を求める考え方である。
- 快適な暮らしがしたかったら、自分にとってどんな状態が快適かを知る必要がある
- そのためのちょっとした習慣が身に着けば、日常が楽しくなる
- 物をいっぱい持ってなくても、お金持ちじゃなくても、日常を居心地よくすることは出来る。
以上です。