ひとみは道をつなぎたい

まったり生きるために調べた&行動したりしなかったりする記録

私はたぶん運がいい(雑)

 何故かというと、紙一重というか、後から思うとこれヤバかったなと思うことがたくさんあるからです。

 

高所恐怖症だったから助かる

 私は物心ついた時からいじめられていました。保育園に入ったそばからハブられてました。近所に住む幼馴染の子が他の子と遊んでいると私はひとりです。

 

 小学校に入っても変わりません。

 一年生の最初の時、教室の後ろ側の掲示で、クラスの人の誕生日が分かるようになっていました。それを見た男子がひとり「お前と同じ誕生日なら生まれなければよかった」って言ったんですよ。

 

 大人になった今は「それお前いまから自分のご両親に向かって言ってみ?」と思ってしまって自分へのいじめという気がしませんがまぁ6歳の子どもには「お前が生まれてこなければよかった」みたいに捉えられてしまって大ダメージでしたね。

 

 他にも、数少ない友人が買ってくれた旅行のお土産品をぱくられたあげく、放課後の教室に残ってこっそり取り返したら、パクった奴の名前がでかでかと書いてあって、家でしか使えなくなってしまってたり、優しく慰めたりしてくれてた憧れの上級生がそのぱくり野郎(女子)のお姉さんだったと知って衝撃を受けたりしました。

 

 それである日、帰りにふと、近所の安アパートを見上げたんですよ。今思えば2階建てで死ぬ要素ほぼないですけど、当時はガチで、階段を一番上まで登って手すりを乗り越えて死ぬ、みたいなことを考え始めたのです。

 

 で、その日のうちだか翌日だったかに実際手すりを乗り越えようとして、下が見えたら怖くなってやめたから生きてます。

 

 もし私が高所恐怖症じゃなかったら、素直に手すりを乗り越えて落っこちて、そのアパートとかにアホみたいに迷惑かけてたはずです。

 

地元に残ったから被害を免れた

 私は今のところ、通勤通学を全部実家から行っております。一人暮らし経験がない生活力が微妙な人です。しかし、大学を地元と筑波大で迷っていたため、もしかしたら筑波大学で何かにガンギマった私が存在する世界もあるのかもしれません。

 

 で、もし茨城で下宿して筑波大に通い、そのままそこで就職していたら。もし本の虫のままであったら。その状態で、東日本大震災に遭遇したら。

 

 かなりの確率で棚の下敷きだったのではないかと思うのです。

 

 ちなみに、地元に残った理由は、父親が「金がないから仕送りも何もできないし手続きとか面倒だ。あ、むしろこっちに仕送りをするならいいぞ」みたいな条件を出したからです。

 

 そして、そのまま実家暮らしだから8月のような事態になっても何とかなっているというわけです。

 

無職だから家から出なくて済んだ

 で、このコロナ禍。引きこもり放題でした。今は仕事以外は散歩がてらスーパーに水貰いに行くだけです。歩いてちょうど往復20分くらいで時間がちょうどいい。

 

 町工場はまだしも、アルバイトのときだと多分去年のマスク騒動とかペーパー騒動で心にとどめを刺されるでしょう。人間不信まっしぐらでしょうね。

 

 

 

 他にはオタク要素関連でいろいろあるけどそれは長くなるしアホな話もあるので別の機会に。